スタート

ダンヒルの軌跡

アルフレッド・ダンヒルの革新的な精神を証明するかのように、自動車の時代の幕開けとともに彼の成功は国境を越えていきました。 それから100年経った今でも、ダンヒルはコンテンポラリーな紳士のために、アルフレッドの革新的なビジョンを実現し続けています。

December 18 / 2015
1893

15歳の見習いアルフレッド・ダンヒルは、ロンドン、ユーストンロード145(145 Euston Road)にある父親ヘンリーの防水布、ブラインド、馬具店にてキャリアをスタート。 6年後ヘンリーは退職し、日々の事業管理を息子に引き継ぐよう指示。 アルフレッドは6か月で売上高を倍増。

1896年

イギリス議会が”Public Highways Act”を可決。当時20台も走行していなかった自動車の数は急速に増加していく。アルフレッドは自動車に関係するアクセサリーの製造に注力し、「エンジン以外のものすべて」という信念のもと事業を拡大していく。アルフレッドは上流階級の人々が多く暮らすコンデュイット通りに店を構え、ゴーグルやヘッドライト、ウェアなど製品の幅を広げていく。

1902

新たに増えた自動車オーナーとその運転手にアクセスしやすい立地のコンドイト・ストリート(Conduit Street)2に最も成功を収めたダンヒルの「モートリティーズ」の店舗がオープン。現在までウェアやゴーグル、ヘッドライトなどを販売。

1903

スピード違反のチケットを切る警察官を見つける「ボビー・ファインダー」双眼鏡を発表。

1903

アルフレッド・ダンヒルは、ダンヒル初のスイス製ムーブメントを採用したダッシュボード時計を開発。

1904

アルフレッドは防水パイプの特許を取得し、たばこ道具の開発で利益を育み、有名な「ホワイト・スポット」システムを開発。

1907

ダンヒルはデューク通り(Duke Street)に店舗をオープン。これは後に現在のジャーミン通り(Jermyn Street)の店舗へと拡張。

1913

ダンヒル初の車「トゥウィーニー」がイギリスの道路に登場。

1924

現在も創業当初と変わらない場所にある、最も古いダンヒルの店舗の一つであるパリ店が、ラぺ通り15でオープン。フランスでは紳士用ラグジュアリーアクセサリーを中心に展開。

1931

ダンヒルのパリにおける事業のディレクターであったクレメント・コートは、日本で革新的な万年筆を製造する並木製作所とパートナーシップを締結。並木製作所が持つ技術は伝統的な蒔絵万年筆の製造を可能にし、「ダンヒルナミキ」が生み出された。30年かけて習得される完璧な蒔絵の技術を駆使し、手作業による複雑なデザインが施されたこの万年筆は、ダンヒルにとって最も輝かしい製品のひとつとなった。

1936

ウォルサムストーに工房をオープン。 現在でも最高級のレザーグッズを作り続けている。

同年、パブロ・ピカソがラぺ通りに立ち寄り「トールボーイ」ライターを購入。彼の愛人ドラ・マールの肖像画をライターにエッチングし、彼女へプレゼント。

1936

アルフレッド・ダンヒルがアイコニックなファセットを持つ時計を発表する。

1941

デューク通りの店舗が、ドイツ空軍の爆弾により完全に破壊される。 アルフレッドの息子であるアルフレッド・ヘンリーは、ダンヒルは24時間以内に事業を再開すると約束。

1956

ローラガスライターを発表。

1966

トルーマン・カポーティが、舞踏会でダンヒルのオーダーメイドのタキシードを着用。

1993

創業100周年。モンブランとともにリシュモングループへ加わり、その中核ブランドとして成長。タバコ関連事業は、ロスマンズ(現ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)へ売却する。アルフレッド・ダンヒルとダンヒルの名は、創業101年のロンドンのラグジュアリーブランドとして、活力あるグループにおける重要な地位を得た。

1994

バリにて初のアルフレッド ダンヒル マスターズゴルフトーナメントを開催。ニック・ファルドがバンカーからサンゴを引き抜いた問題で失格となり、ジャッキー・ケイが優勝した。2000年には、初のアルフレッド ダンヒル リンクス チャンピオンシップをセント・アンドリュースにて開催する。

2008

かつてウェストミンスター公爵の旧邸宅だった場所で、ダンヒル初の「ホーム」であるボードンハウスが公開。その後まもなく上海の「ホーム」であるツインヴィラもオープンする。

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